病み始めは大体自分のBGMで気づくべき
どうも、やり慣れないバレーボールを遊びで少しやっただけで両腕を負傷したブロガーです。
全く身体を動かすことに向いてないない人生、そう強く思います。
しかし思い返せば、小学生の時は陸上なんたら会でリレーのアンカーを務めたこともあり、そういえば足が速い方だったし、昼休みは男子とサッカーやドッチボールをして遊んでいた。水泳や空手等も習っていたし、今からは考えられないほど活発だった。
何故か、本当にいつのまにか運動への苦手意識が強くなった。
部活はやっていたものの、部活内の人間関係が最悪すぎるため、あまりその種目自体も好きではなくなってしまった気がする。本当に何に関しても人間関係は重要。
でも休みの日には体育館に友人と出かけて、バスケをしたりもしていたのに、今はその傾向が全くない。どこにいった。
家にあるナイキの水色のバスケットボールは空気が抜けている。悲しい。
私の身体を動かす原動力はどこへ行ってしまったのだろうか。
そしてロキソニンテープを両腕に貼りながら、痛みを抑えながらのブログの更新。偉い。偉いというか、明日への恐怖心を少しでも忘れるための逃避に近い気がしてきた。
ふとiPhoneから流したBGMは佐藤千亜妃のソロEP「Sick SickSickSick」。病む。いやタイトルから病む。最高すぎるEPで曲も最高だが何しろ病む。きのこ帝国の初期の曲「夜が明けたら」よりは病まないけれど。
いやだって夜が明けたらの歌詞は
「復讐から始まって終わりはいったい何だろう
償いきれない過去だって決して君を許さないよ
それでもやるしかないとか、それもエゴだって話」
この"エゴ"という部分にとてつもない恐怖心を覚えたことが記憶にある。
最近は初期よりは病まない、少し明るさを含んだ絶望、そして女性性が強い曲が多くなったと思う。
まあ病んでる曲も好きなんだけど。
やばいこのままでは病んで月曜になってしまうのでシャッフルでBGMを探す。
あれ。People in the boxの「月曜日/無菌室」。いや波多野さんは神様的に好きだけど、最近は病むから聞いていなかった。ライブも全然行けてないし。なのに、敢えての月曜日、、、、、、しぬ。
私のiPhoneは病みから解放してくれない。
せめての最後の希望を込めてのシャッフル。
シーアで「Move Your Body」。
寝させてくれない。
さようなら。
三連休という最高な響きと最終日の落胆
先週は胃痛に加えて、瞼をダイレクトに蚊に直撃されてしまったために、眼帯で綾波レイ状態での仕事だった。もはや精神と片目はしんでいた。
三連休中は久しぶりに遠出をした。
遠出と言っても、そんなに遠くはない友人の家に遊びに行き、のどかな景色の中をドライブして海の幸を堪能した。幸せだった。
全く仕事のことを忘れられた。
嘘。
仕事は頭の片隅にいつもいるので消えることはないのだが、それもお昼寝休憩に入ってくれるぐらいには心が解放された。
しかし今日はもう日曜。ベットの上で両足を天井に向けて上げ下げしながらの絶望タイム。
本当だったら明日は仕事だが、仕事がない。それは幸せなことだが、少し予定がある。もう家から出たくないが。
最終日の落胆については多分明日書くことになるだろう。
エアコンと部屋の照明のリモコンが見つからないので大捜索してから就寝。
おやすみなさい。
なにを食べれば健康的になるのか教えてほしい
どうも。今年7回目ぐらいの逆流食道炎と胃炎にかかった者です。
この間までは治りかけだったのにも関わらず、昨日は仕事中の嗚咽と胃痛に耐えられず、仕事終わりに病院へ直行。
内科の先生も「🤷🏻♂️」という感じだった。しにたい。
後頭部の頭痛を自分の指で指圧しながら、昨日は電車で初めて駅員さんに起こされる、という体験をしてしまったことを思い出す。
「お客様!終電ですよ!」肩をそっと叩かれ起きた私はあまりの恥ずかしさに、駅員さんに感謝の気持ちも述べず「アッーー!」と小さい声を漏らしながら走りだした。
本当に申し訳なかった。駅員さんは毎日こんな奴を何人も見かけ、起こしたり、もはや酔っ払いの相手などもしなくてはいけないのかと思うとなると、本当に尊敬する。すごい。私には出来ない。
仕事中突然現れたクレーマーは、大体心の中で射殺して過ごしている私に、心に余裕はいつもない。
書きたいことを忘れてしまった
さようなら、かなり辞めたい、毎日辞めたい度が増すが、辞める勇気の無さも増している気がしている。
どこにいっても同じだというセリフは63726842回ぐらい聞いて聞き飽きたが、所詮そんなことを言っても誰も責任は取ってくれないのである。仕事を辞めるにしても辞めても、誰も責任はとってくれない。しにたいことがあって死んでも、あいつにああ言われたから、と言ってもそいつは責任を取ってくれないのである。
なので今いる現状も私の責任。嫌だったら周りなどなにも関係ないはずなのだ。
だから辞めたい。早急に。
頭痛が治ってきたのでその間に早くテラスハウスを再視聴したい。
さようなら
シチューオンライスに対する圧倒的対抗心
寒い、寒すぎる。
人は異常な温度差に自律神経をよくやられがちだが、私もその一人である。
先週の今頃はショーパンにTシャツで、タオルケットで寝ていた。もちろん口を開けて。
しかし、である。今は先週とは打って変わり、トレーナーにユニクロのヒートテックレギンスを履き、ブランケットに包まってソファーで死んでいる。寒すぎる。心が病んで来る。
そんな時に好きな食べ物第3位のシチューが夜ご飯だった時の、「生きていてよかった、、、」感はハンパない。私はこういった些細な絶望と些細な幸せに揺さぶられながら情緒不安定な生活を送っている。
シチューはもちろん、ご飯にかける。
生まれてから私はシチューをご飯にかけて食べるもの、として認識している。
しかし、家族が全員そうなわけではない。
父親はシチューをスープと同じような部類だと思い込んで、パンと一緒に食べている。
人の食べ方に口を開いてわざわざイチャモンはつけないが、心の中の私は「信じられない、、」と青ざめてまた病む。
シチューはご飯にかけるべきして他にどうやって食べるかが分からない。もはやカレーよりもシチューの方がご飯に合う。
更に、私の家ではシチューには必ず、ウズラの卵をいれる。これについては、最高、としか言いようがない。最初に誰がシチューに、具として野菜たちと共にウズラの卵を入れようと、私の母に入れ知恵したのか、聞きたいが、特に聞いていない。
普通にゆで卵は美味しいが、デカすぎる。手軽に食べれるゆで卵、そう、それがウズラの卵。あの美味しさがそのまま小さく凝縮され、口の中で弾ける。そしてあの濃厚ななんとも言えないホワイトソースと絡む。ご飯もめちゃめちゃ絡み合って来る。幸せな食べ物以外の何者でもない。
しかし私は最近あるCMを見かけ、眉をひそめた。
「シチューオンライス」
ご飯にかける為のシチュー、という売り方らしいが、私には全く理解できなかった。
だって私は生まれてから、シチューをご飯でしか食べたことがない。それ以外の方法で、世界はシチューを食べ続け、挙げ句の果てには「シチューをご飯で食べてみてもおいしいですよ💁♀️」と訴えかけなければいけないほど、シチューご飯人口は少なかったのだろうか。
私は悲しかった。
だからシチューオンライスのCMを見るたびに病む。
でも食べてみてもいいのかもしれない。何事も知ろうとしないで文句を言うことは違うと思っている。例えば好きな少女漫画がまた実写化をされてふざけるな!と思いつつも、見ないと文句は言うべきではないという変な考えが、私にはある。
理想のOLは今日も、仕事から疲れて帰ってきても、具沢山のシチューをオレンジ色のホーロー鍋で作っている。
もちろん仕事で疲れて帰ってくる田中圭のために。
辞めたい
やっと訪れた平穏はすぐ過ぎ去ってしまう
ブログを二日ほど休んでしまった。
これを書くことによって仕事を辞めたいという意識を忘れないようにしていたのに、仕事のための資格勉強のためにわすれてしまっていた。
これでは意味がない。
今日はやっと訪れた平穏を楽しむため美容室に行き、少しだけ髪を明るく染め、カットをした。
理想のニューヨーカーのモデルと同じ髪型になるために伸ばしているが、まず顔面が違う。気付くのが遅すぎる。
徹夜でくまのできた顔を、美容室の鏡で見ながらの絶望。こういう些細な絶望は日常的によくある。
担当の美容師さんにニューヨーカーのモデルのインスタの写真を見せて、「これにしてください!」とうきうきしていた自分が恥ずかしい。これになれたら苦労しない。美容師さんには多大な心労だろう。
まず、そのモデルはハーフだ。全くスペックが違う。
目元はくっきりとした二重、均等な生え方をしたカールの強くかかった黒い睫毛、アイブロウで整えなくてもいい、綺麗な形の眉。笑顔が子犬のように愛くるしい。(食べているものまで全ておしゃれ、しにたい)
私は生まれつきの奥二重に、かゆい眉毛(かきすぎて禿げてきた)、笑顔は完全にニャンちゅうと一致してしまうような、まあ俗に言う目がなくなるような顔。よく似ていると言われるが褒め言葉なのかどうかは、、、つらい。
でも少しでも髪を切ると邪気を払った気分になるので、明日の仕事への精神統一タイムにはふさわしい。
ストレスから、知らない間に洋服をボーナス一括払いで買ってしまったことも反省。
でも洋服は本当に着ることに意味があるが、買うだけでもこの高揚感。たまらない。辞められない。これではボーナスをもらうためにまだ仕事も辞められない。
負のループをひしひしと感じる日曜の夜。
アンダーグラフの遠き日を聴きながらしんみり、朝が来ないで欲しいと願うばかり。
おやすみなさい、さよなら日曜日
夜中のコンビニに駆け出したい
昨日は資格試験のテキストを抱きしめながら寝落ち。
起きたらいつも通り仕事。
ほんとうにしにそうだった。
昨日は仕事帰りにコンビニ寄ったが、タバコを買わなかった。いつもは職場のコンビニと決まった所でしか売っていない銘柄で、最近まで置いていたセブンからも、わたしの吸っているタバコは姿を消していた。
朝起きて、朝ごはんを食べた後、そして仕事帰り、何か手持ち無沙汰な時、飲み会の時、手元にはいつもタバコがあった。
昨日は家に帰り一服しようとしたが、そうだ、タバコを私は自主的に買わなかったのだ。一箱450円の有害な白い棒。しかしなければないで、吸いたい、と強く思ってしまう。あれだけ臭い!と感じてもだ。
つらすぎる、仕事は辞められないけれど、タバコなら辞めることができるのだろうか。
ちなみにタイトルはブログとはなんの関係もなく、ただ夜中のコンビニというワードが最高に好きなだけなので、これについてはまた後日。
さようなら
台風が仕事への道を寸断してくれる時はいつ来るのか
どの曜日が嫌いか、何度も語ってきてはいるが、やっぱり火曜日も好きではなかった。
今日も仕事で嫌なことがあったが、台風の影響でいつもより早めに帰宅することが出来、近くの雑貨屋でハーバリウムを見て心を潤わせた。
私の理想のOLの部屋に、ハーバリウムは必ず置いてあるものだ。
理想のOLの部屋にはハーバリウム、そしてあの有名なドラマ、逃げ恥で星野源がエンディングの映像で開いていた、ルミオエスエフの本型ランプがある。
フランフランの大きいアロマディフューザーに、時々火をつけて楽しむディプティックのベスのキャンドル、、、、考えただけで幸せになれる。
実際は六畳の狭すぎる部屋で、資格試験の使っても使っても受からないテキスト本が積み重なり、折角20回払いで買った自慢のMacBookproがそのテキストの重さに、息の根を止めかけている。
かわいそうだ、現実というものは。
明日も台風であろうがなんであろうが、出勤は免れない。
中高時代、朝のニュースに、台風の影響で休校情報が流れた時は歓喜に舞い踊っていた。
しかし社会人の私に、休業のテロップは流れることはない。
今日も今日とて、明日に怯えてベットイン。マインドフルネス瞑想の練習でもして寝なければ。
さようなら